第179話 技術がたどるルート


こんにちはっ



ゆうなです!





前回の記事にコメント頂いた てつっぴどぅ さん、



貴重なお話をありがとうございました!



今度東京へ行く際は、新宿の平和記念展示資料館に立ち寄ってみたいです。





さて今回は琉球王国時代の沖縄です。



私がこれまで調べて行く中で、琉球は決して小さな島国ではなかったと



思うことが多々ありました。



このブログの中でも、琉球の時代の画家、政治家、ライト兄弟よりも先に



空を飛んだ人物…など様々な人物を取り上げました。



ペリーが来ても国として折れることはせず、水面下で対策をとったりと



ひとつの国として、とても優れていたのではと思います。





私のこの考えを確信づける話題がありました。



琉球の測量技術です。



言っておきますが私自身、測量のことは全く知識がありません…。





日本の江戸時代の測量といえば、伊能忠敬の全国測量が有名ですよね。



実は伊能忠敬の日本図が完成する25年も前に、『琉球国之図』という



地図が完成していました。





日本はオランダの技術を採用し、琉球は三角点網を使ったフランス式を



導入、これは近代測量とも呼ばれ、日本では明治時代以降から使われます。



三角点網は、土地を三角の点で結んで測量していく方法です。



ではどうして、当時最先端の技術が琉球に伝わったのか…。





まず、世界で最初に三角網を実施したのは中国(清)でした。



中国の皇帝が、フランス人の宣教師兼測量師を呼び寄せたと言われています。



フランスが技術を最初に考案していましたが、



イギリスとの戦争で実施が遅れていました。



そうして技術は清国に渡り、琉球までやって来たというお話ですね。





日本の鎖国、琉球と中国の密接な関係、イギリスとフランスの戦争…



色々な偶然が重なった結果ですが、時代の流れは面白いですね。



測量のお話に興味がある方は、『間切島針図』というワードで



是非調べてみてください!



当時測量された琉球の地図も出てくると思います。





それでは、今回はこのへんで……



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それでは皆様、また来週……







文)そんないプロジェクト ゆうな

2 Comments

  1. てつっぴどぅ より:
    ゆうなさん、平和祈念展示資料館ぜひぜひ行ってみて下さい。
    地図を作るのってたいへんですよね。
    今みたいに空から見えるわけでもないですし、よくもあれほど正確な地図が作れるものだなぁと
    先人の探求心と弛まぬ努力には頭の下がる思いです。作った本人は答えあわせできていたのか?とかいろいろ気になります。
    現在は、地図もあってさらにすごいのは自分が地図のどこにいるかまでGPSでわかってしまうことです。
    ちょっと前まではGPSもなかったですから、地図はあっても自分がどこにいるのかわからず、ドライブしてても道を間違えることがよくありました。
    次はどこまで便利になるのでしょうか?
    今の若い方たちは、GPSがあるのは当たり前なのでそんなことで困ることもないのでしょうね。
    都内にお住いの方であれば、江戸時代の古地図が結構精巧なものが公開されているみたいないのでそれを頼りに歩いたりすると楽しいかもしれませんね。
    ダイソーの100円地図を持って都内を歩いていたころがなつかしいです。
  2. アラハビーチが好きなおばちゃん より:
    久しぶりにブログを読みまして(^^)コーヒーの美味しそうな回と今回は同じ橋だと思うのですが、どこの橋?漫湖公園?
    思い巡らせています。

コメント