第165話 自然と表れる運命
こんにちはっ
ゆうなです!
感染症問題は、収束が見えませんね…。
週末は多くの地域で外出自粛となっていて
気持ちが沈んでしまいますが、頑張りましょうね。
Podcastもそうですが、
このブログも家にいながら楽しめる(楽しんでくれているのか?)
コンテンツのひとつです!
ブログを書き初めた頃の、
情報詰め込みすぎ、顔文字多い頃と現在を比較して見ると
面白いかも…しれません。
いや、過去に頼らず、少しでも時間を潰せる内容のあるブログを
目指したいですね!
さて今回ですが…
私が時々、このブログで沖縄の歴史や人物を取り上げているのは
ご存知でしょうか?
タイトルに載せる時もありますが、「歴史っ!」とわかると
苦手な人は記事を開いてくれないだろうと思って、
ほとんど抽象的なタイトルにしています。
(みなさんを騙してるわけじゃないですよ。笑)
また、歴史の話が続くと読んでいる方も飽きますし
単調になってしまうので、時々グルメやアートっぽい話題も挟んだりしています。
沖縄の歴史に興味がある方は、タイトルに騙されず
一度記事を開いてみてくださね。
前置きが長くなりましたが、
今回は「源為朝(みなもとのためとも)」について。
日本史詳しい方はご存知かもしれませんね。
…実は私、日本史は中学校一年以降、勉強していませんので
全然、詳しくありません。
ギリゆとり世代ですので、選択教科が多く中学2年生からは
地理や公民を勉強していました。
こんな私が、なぜ「源為朝」にたどり着いたのか。
それはなんと、私がよく読む沖縄の歴史書に載っていたからです。
「源為朝」について少し紹介すると
平安時代末期の武将で、なんと身長2m超えの巨体で
武勇(特に弓)に優れていたそうです。
私でも名前くらいは知っている
源頼朝(みなもとのよりとも)、
源義経(みなもとのよしつね)の叔父にあたる人物です。
私、本当に日本史知らないので簡単に書きますと
平安京で保元の乱という争いがあり、それに破れた源為朝は
島流しの刑にされますが、沖縄に漂着し、弓に優れていたため
沖縄の人々から慕われるようになります。
その後沖縄で結婚し、一人の男の子をもうけますが
ふるさとが恋しくなり、妻と子を残し旅立った…という話があります。
他にも、伊豆大島に流されて自害したなど色々説がありますが、
現在、浦添市牧港(まきみなと)という地名は
残された妻と子が為朝の帰りをずっと待っていた場所だから
「マチナト」と呼ばれるようになったと言われています。
今もこの地域には「マチナト」という名前の入った施設が多くあります。
そして為朝の息子舜天は、幼い頃から他の人とは違う能力を発揮し、
15歳で浦添の領主に、その後琉球の王様となります。
まだまだ伝説の中で語られているひとつの話のようですが
私の中ではとても筋の通った、夢のある話だと思います…。
いかがだったでしょうか?
皆様からのご意見ご感想など
メールをお待ちしております。
こちらまで!
それでは皆様、また来週……
文)そんないプロジェクト ゆうな
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