第142話 名産品の背景に
こんにちはっ
ゆうなです!
私は沖縄に住んでいるのですが、
沖縄県民にも観光客にも大人気のお菓子があります!
『紅いもタルト』
って皆さんご存知でしょうか?
タルト生地の上に、ペースト状になった紅芋が乗ったお菓子です。
そもそもなぜ、「紅芋」が沖縄で広まったのでしょうか?
![](https://sonnai.com/podcast/419895ED-7536-4665-A334-BD2CE34BC2DE-1400x775.jpeg)
1600年代、沖縄『琉球』は、たびたび食料不足に悩まされていました。
当時、琉球と明(当時の中国)を行き来していた
野国総管(のぐにそうかん)という人物が、明で『イモ』の存在を知ります。
イモは栽培が簡単で、調理にも手間がかかりません。
琉球を救う飢えから救う食べものになると考え、
彼は一つの鉢植えに苗を植えて持ち帰ります。
そうして帰国した野国総管は栽培をはじめ、
イモは多くの人々の空腹を満たしていきました。
彼が琉球中にイモを広めたいと努力していたとき、
王府の役人をしていた儀間真常という人物と出逢います。
真常は国民のためイモを広める手伝いがしたいと申し出て、
栽培方法を研究し、当初の方法よりも栽培しやすくなりました。
その結果、イモを琉球中へ広めることに成功します。
さらにこの儀間真常は、イモの普及だけでなくもう一つ
沖縄の名産『黒糖』も生み出しています。
彼は自らの領地の住民を、明(中国)へ派遣し、黒糖の作り方を学ばせました。
沖縄に現在も続く「さとうきび畑」の風景。
黒糖の生産技術が広まったのが理由のひとつかもしれません。
さらにさらに儀間真常は、薩摩から木綿の種を持ち帰り
木綿織りの技術も普及させています。
これらの功績で、『産業の恩人』として讃えられています。
沖縄のお土産やさんに並ぶ食品のひとつひとつに、
昔、琉球の時代に影で努力した人がいると思うと感慨深いですね。
いかがでしたか?
今回はこのへんにしたいと思います!
皆様からのご意見ご感想など
メールをお待ちしております☆
こちらまで!
それでは皆様、また来週……
![](https://sonnai.com/podcast/CF4828A1-690D-4CF4-A91C-0D5F4F1E89A9-1400x1050.jpeg)
文)そんないプロジェクト ゆうな
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