第142話 名産品の背景に


こんにちはっ



ゆうなです!



私は沖縄に住んでいるのですが、



沖縄県民にも観光客にも大人気のお菓子があります!



『紅いもタルト』



って皆さんご存知でしょうか?



タルト生地の上に、ペースト状になった紅芋が乗ったお菓子です。



そもそもなぜ、「紅芋」が沖縄で広まったのでしょうか?







1600年代、沖縄『琉球』は、たびたび食料不足に悩まされていました。



当時、琉球と明(当時の中国)を行き来していた



野国総管(のぐにそうかん)という人物が、明で『イモ』の存在を知ります。



イモは栽培が簡単で、調理にも手間がかかりません。



琉球を救う飢えから救う食べものになると考え、



彼は一つの鉢植えに苗を植えて持ち帰ります。



そうして帰国した野国総管は栽培をはじめ、



イモは多くの人々の空腹を満たしていきました。



彼が琉球中にイモを広めたいと努力していたとき、



王府の役人をしていた儀間真常という人物と出逢います。



真常は国民のためイモを広める手伝いがしたいと申し出て、



栽培方法を研究し、当初の方法よりも栽培しやすくなりました。



その結果、イモを琉球中へ広めることに成功します。



さらにこの儀間真常は、イモの普及だけでなくもう一つ



沖縄の名産『黒糖』も生み出しています。



彼は自らの領地の住民を、明(中国)へ派遣し、黒糖の作り方を学ばせました。



沖縄に現在も続く「さとうきび畑」の風景。
黒糖の生産技術が広まったのが理由のひとつかもしれません。



さらにさらに儀間真常は、薩摩から木綿の種を持ち帰り



木綿織りの技術も普及させています。



これらの功績で、『産業の恩人』として讃えられています。



沖縄のお土産やさんに並ぶ食品のひとつひとつに、



昔、琉球の時代に影で努力した人がいると思うと感慨深いですね。



いかがでしたか?



今回はこのへんにしたいと思います!



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それでは皆様、また来週……







文)そんないプロジェクト ゆうな

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