第138話 とぅないジマ・2


こんにちはっ



ゆうなです!



先週から、沖縄のお隣の島『台湾』について取り上げています。



ポルトガル人に発見されて以降、オランダ、清、日本…



様々な国から支配を受けてきました。



鄭成功がオランダを追放した17世紀以降から、



中国大陸からの移住が活発になっていきますが、



それ以前はアミ族、パイワン族、タイヤル族など多くの民族で構成されていました。



現在も政府から認定を受けた16の民族がおり、20以上の言語があるようです。



また、台湾から沖縄への移住も



1935年から本格化しました。



沖縄県の八重山諸島でのパイン産業や、水牛を用いた稲作など



多くの技術が沖縄にもたらされました。



私が個人的に、沖縄の昔ながらの風景だと思っていたのは



実は台湾からやってきたものだったのですね!



この技術は、戦後沖縄の産業を支える事にも貢献しました。



台湾でジャポニカ米に近付けて品種改良された、蓬莱米(ほうらいまい)



が導入され、戦後の食料危機を救ったようです。



また、密貿易(戦後、本来は禁止されていた外国との貿易)



が戦後5年に渡って続き、物資不足を補い合っていました。



沖縄から台湾へは『追い込み漁』がもたらされ、



現在も受け継がれています。



戦前は、台湾各地の港に沖縄の漁師が住み着き、



地元の人々と共存して暮らしていました。



近現代のことをお話しすると、



日本統治下の台湾で生まれ育った日本人(『湾生』と呼ばれる)は、



敗戦で日本に強制送還されましたが、



現在も台湾を第2の故郷と思い交流が続いています。



昭和10年代、台湾での学校教育は日本と変わらない水準だったといいます。



台湾は親日家、と言われる理由として湾生の人々が育んできた台湾とのつながり、



日本のことをよく知る台湾の人の思いに支えられています。





いかがでしたか?



今回はこのへんにしたいと思います!



皆様からのご意見ご感想など



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こちらまで!



それでは皆様、また来週……







文)そんないプロジェクト ゆうな

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