第137話 とぅないジマ・1
こんにちはっ
ゆうなです!
私が住んでいる沖縄県からほど近くに台湾があります。
飛行機で1時間と少しで行くことができ、
もしかしたら九州より近いのでは…?と思ってしまうほどです。
最近は台湾ブームで、身近に感じている方も多いのではないでしょうか。
しかし、台湾がどのようにして現在の姿になったのか
歴史的背景を知っている人は少ないかもしれません。
私も恥ずかしながら、日本統治時代があり親日家が多い…
という浅い知識しか持っていませんでした。
今回、沖縄と台湾が歴史的に深いつながりがあると分かり、
紹介させて頂きたいと思いました。
沖縄のとぅない(お隣り)ジマ(島)について掘り下げてみましょう★
明治維新直後の年代、当時の沖縄は琉球王国と呼ばれていました。
薩摩藩に組み込まれながらも、独立した王国としての体裁は保っていました。
この時も宮古島から王府がある首里城へ年貢を納めたのち、
帰途に向かっていた船が台湾近海で遭難してしまい、
台湾へ上陸後、宮古島民が誤って集落へ立ち入り
54人が台湾の先住民によって殺害されてしまったという事件があります。
これだけ聞くと とても酷い話のようですが、
事件以前の台湾を遡ってみると、100%酷いとは言い切れないかもしれません。
台湾が歴史に登場するのは、大航海時代のポルトガルに発見され
『麗しき島(ilha formosa)』と賞賛された事に始まります。
その約100年後オランダ東インド会社に支配され、その50年後
鄭成功という人物によってオランダは追放されます。
その後、『清』(中国)の領土となります。
ここまでで西暦1683年、目まぐるしく台湾の主が変わる中、
台湾の先住民は警戒を強めたと思います。
さらに事件のその後、琉球は薩摩藩に組み込まれている現状から
日本政府は『清』に抗議しましたが、殺害を行ったのが先住民
(国家統治の及ばないもの)だと返答があり、日本政府は台湾出兵を行います。
琉球を思っての出兵に見えますが、これにも裏があるような説もあります。
当時、琉球と『清』は未だ交流があり、一つの国として清から爵位を受けている事で
薩摩藩のルールなどにはあまり従おうとしなかったので、
日本政府はどうにか清と琉球を切り離したいと思っていました。
出兵によって敵と味方がハッキリし、この事件以降琉球の人たちは
日本人として日本語を話すようになりました。
その16年後、日清戦争により台湾は日本に併合されます。
それまで中国大陸からの移民と台湾先住民は交流する事はなく、
生活圏も別だったので
日本に併合されるまで共通の言語や法律がありませんでした。
こちらもまた、日本人として日本語を話すように教育されていったのです。
そうして同じ運命を辿るように20世紀を迎えました…。
いかがでしたか?
今回はこのへんに致します!
まだまだ台湾と沖縄について書きたいことがあるので
来週も続編にしたいと思います。
皆様からのご意見ご感想など
メールをお待ちしております☆
台湾へ行ったことがある方のお話も聞いてみたいですねっ
こちらまで!
それでは皆様、また来週……
文)そんないプロジェクト ゆうな
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