第124話 才能を見抜く


こんにちはっ



ゆうなです!



これまで、そんないブログでは私の地元「沖縄」出身の画家を



数回とりあげてきました。



第57話 大城清太



第102話 伝える力



紹介したお二方は、ほぼ現代の画家なのですが、



今から約350年前、琉球の時代に王様から正式に「絵師」と



認められた人物がいました。





城間清豊 ぐすくませいほう(1614〜1644)



という人物で、絵が上手いと首里城内でも噂されるようになり、



ついには王様の耳にもその話が入ってきたのでした。



王様は城間清豊を首里城に呼び出し、自身の目の前で絵を描くよう命じ、



そして、素晴らしい絵を描き上げたのです。



王様は彼の力を認め、自了(じりょう)という名を与えます。



当時、王様から名前をもらうというのは、大変名誉なことでした。



名前をもらったことで、自了はさらに有名になります。



この頃の琉球は薩摩藩侵攻後であったので、江戸へ行く機会もありました。



その際、使節団が自了の作品を持参し、公開したところ



狩野派の絵師・狩野安信が『我が国にいたら友としたい』と



賞賛したと伝えられています。



ここまでの話を聞くと、自了がどんな作品を描くのか見てみたいですよね!



ですが、彼の作品は沖縄戦でほとんど焼けてしまいました。



現在残っているのが、神獣を描いた「白澤之図」と、



落款が無く本人とは断定できないが、おそらく自了の作品だと言われている



もう一つの作品があるだけのようです。



「白澤之図」は、沖縄の財団が所有しているようなので、



公開することがあれば絶対見に行きたいと思っています。





さて、城間清豊・自了は、どんな人物だったのでしょう。





実は、生まれた時から耳が不自由で、言葉を話すことができない



病気を持っていました。



しかし、絵の才能に気づいた両親は、勉強の無理強いをせず



才能を伸ばす教育をしたと言います。



このエピソードに関して私は、現在にも通じるところがあると感じました。



自分で将来の仕事を選択し、それに向かって学校等で勉強するのも大事ですが



両親が子供の才能に気づいて環境を整えるのも、



夢実現のための方法のひとつのような気がしました。



絵が上手いと気づいても、他にも上手い人がいれば



絵の道では埋もれてしまうかもしれません。



そうなると、無理して勉強をさせていた方が、彼のためになるかもしれない。



「才能を伸ばす」という両親の判断が、自了の活躍のスタートになっているので、



自了の能力もすごいですが、ご両親も素晴らしいと思いました。





いかがでしたか?



今回はこのへんにしたいと思います!



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それでは皆様、また来週……







文)そんないプロジェクト ゆうな



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