第91話 夏といえば…!2
こんにちはっ
ゆうなです!
さてっ
日曜日にいよいよ高校野球が開幕しますね☆
私もいつかは甲子園球場で地元の学校を応援したいな…。
という夢があります!
私の出身は沖縄でして、先週から沖縄の高校野球について
お話ししています。
前回は戦前~戦後の、沖縄と野球の関わりについて触れました。
今週は戦後、沖縄本土復帰から現在までの
沖縄野球について書いていきます。
終戦からちょうど1年後の、1946年8月15日。
本土では、米軍が接収中だった甲子園球場に代わり
西宮球場で夏の大会が再開されていました。
ソフトボールを使用していたようです。
それから10年後、沖縄高校野球連盟発足しました。
この当時は、現在のような一県一代表制ではなく
沖縄大会で優勝しても、九州の学校との決定戦に勝利しないと
甲子園出場はできず、沖縄勢にとって甲子園出場は至難の技でした。
しかし1958年は、夏の甲子園が40回の記念大会となり
一県一代表制が採用され、首里高校が沖縄勢初の甲子園出場を果たし、
首里高校は一回戦で、福井の敦賀高校と対戦しましたが、
3-1で敗れてしまいました。
この時、沖縄はアメリカ統治時代。
本土から船や飛行機で沖縄に着くと、パスポートの審査、
税関、検疫の検査を受けていました。
その中で、
「外国の土は持ち込んではならない」という規定があり、
首里高校の選手たちの持ち帰った砂は没収され、
那覇港の海へ捨てられてしまった…という話は、知っている方もいるかもしれません。
この事件がキッカケで、沖縄県民の本土復帰運動が高まったと言われています。
それから5年後、首里高校は甲子園で初勝利。
さらに5年後には、興南高校がベスト4進出。
沖縄を統治していたアメリカのアンガー高等弁務官も、
在沖アメリカ人にとっても誇りだ、と感動しお祝いの盾を送っています。
この4年後の1972年、沖縄は本土復帰へ…。
昭和後期から平成にかけては沖縄水産高校はじめ、
様々な高校が出場し、盛り上がりをみせます。
甲子園初優勝は1999年(平成11年)、沖縄尚学高校でした。
当時の内閣総理大臣、小渕恵三から直接学校へお祝いの電話があり
職員の方々が大変驚いたそうです。
沖縄野球の流れを追ってきましたが、
他の都道府県も高校野球の歴史やドラマがありそうですね!
興味を持たれた方は、地元の高校野球について
是非調べてみてくださいっ
そして、私にも教えてくださいね☆笑
いかがでしたか?
今回はこの辺にしたいと思います!
皆様からのご意見ご感想など
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こちらまで!
コメントも嬉しいです!
それでは皆様、また来週……
文)そんないプロジェクト ゆうな
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