第90話 夏といえば…!

こんにちはっ

ゆうなです!

 

毎日暑い日が続いていますね。

私は沖縄に住んでいるので、暑いのはわりと好きなのですが

埼玉県熊谷市では40度超えの気温を記録しているようですね(>_<)

さすがに私も、この気温は想像できません…。

本当に皆様、体調を崩さないようお気をつけください!

 

さて、「第123回 そんない雑貨店」では

高校野球のお話しをしていましたね☆

そこで私は、沖縄と高校野球の繋がりと発展を調べてみました!

 

沖縄に野球が伝わったのは明治27年、

現在の首里高校にあたる沖縄中が修学旅行で京都を訪れた際に、

三高(現在の京都大学)の学生に教えてもらったのが始まりです。

 

それ以降も少しずつ発展を続け、

大正5~10年は沖縄野球の興隆期といわれ

学生野球や社会人チームも登場し、

応援団も加わって賑やかな様子だったといいます。

 

本土では大正13年には甲子園球場が完成、

沖縄の学生たちも見学に行ったりと

選手たちの実力も上がってきた矢先の昭和16年、

戦争のため大会が中止になります…。

この年の那覇高のピッチャーが優秀で、

全国制覇を期待されていたそうです。

 

戦後の沖縄野球は荒廃の中、

米兵からの払い下げで道具を手に入れたり、

米軍のテントを裁断してグローブを手作りしたりなど

いちからのスタートとなりました。

 

中でも、沖縄県民が米軍の請負業を行う630部隊は、

米軍に加え、那覇の住民が中心でしたが、

この部隊がいる地域は電気、水道が自由に使えて

他の住民よりもはるかに豊かな環境でした。

野球道具に関しても直接譲り受けたりしていたようです。

 

米軍も住民との親睦を深めるため、

イベントを開催したりしましたが

野球が最も住民との距離を縮めました。

 

昭和24年6月5日、第一回米琉親善野球大会が開催されました。

米軍と琉球(沖縄)の試合です。

物量に優り、体の大きな米軍チームと小さな沖縄選手は

なんと互角に戦い、延長10回の末惜しくも5ー4で米軍が勝利。

沖縄は敗れてしまいましたが、選手の奮闘は

戦後の復興ムードの中大きな感動を呼びました。

 

…と、今回は沖縄に野球が伝わってから、

戦後に至るまでのお話しをしました!

今年は高校野球100回大会を記念して、

次週もこの話題を取りあげたいと思います☆

 

「沖縄の本土復帰から、現在に至るまでの沖縄・高校野球」

を書いていきます。お楽しみに(*^_^*)

 

いかがでしたか?

今回はこの辺にしたいと思います!

皆様からのご意見ご感想など

メールをお待ちしております☆

blog@0438.jp

こちらまで!

コメントも嬉しいです!

それでは皆様、また来週……



文)そんないプロジェクト ゆうな

 

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